映画『名もなき者』(原題:A Complete Unknown)を観てきました。
主演はティモシー・シャラメ。彼が演じるのは、伝説的ミュージシャン ボブ・ディラン。
これは、ひとりのアーティストが「時代の象徴」に仕立て上げられていく過程、その中で「自分」を守ろうともがく姿を描いた物語でした。
ティモシー・シャラメの歌声に圧倒された
まず驚いたのは、歌のシーンの迫力とリアルさ。
すべてティモシー本人が歌っているとのことで、しゃがれた声質や独特なリズム感まで、まさにボブ・ディランそのものでした。
特に、ジョーン・バエズ(モニカ・バルバロ)とのデュエットシーンは必見!
彼女の透明感ある歌声と、ディランの深みある声のコントラストが絶妙で、音楽映画としても心を揺さぶられます。
「カテゴライズ」を拒絶する男の苦悩
映画の中で描かれるボブ・ディランは、周囲から「フォークの神様」「反戦の代弁者」として持ち上げられるものの、本人は一貫して、音楽のジャンルにも政治的ラベルにも興味がない。
観客から「風に吹かれてを歌え!」「タンブリンマンを聴かせろ!」と求められるたびに、彼の顔には微妙な苛立ちがにじみます。
本作は、「期待される自分」と「本当の自分」との間で揺れ動くディランの内面を、セリフではなく、態度・間・沈黙で表現してくる演出が光っていました。
居場所を持たない「ローリングストーン」
興味深いのは、ディランの「家」が映画の中で一度も描かれないことでした。
彼は、恋人・シルヴィの家で暮らし、シルヴィ不在の時に、ジョーンをその部屋に連れ込む。
いや、まさかのそこで名曲歌う――?!
なんて思ったのは私だけじゃないですよね……
まあ、結局どちらの女性からも最後は拒絶され、また夜の街へ放り出されるんですよね。
人気があっても、理解者がいても、「彼の居場所」はどこにもない。
それはまさに、彼自身が歌った “Like a Rolling Stone”——
「転がり続ける石」のような人生を象徴しているように感じました。
師匠とマネージャー——ディランを支えた二人の男
この映画では、ボブを支えた二人の男性も重要な軸になります。
- ピート・シーガー(師匠):ディランの才能を最初に見抜き、フォークの世界に導いた人物。だが、ディランがエレキに転向したことで決別する。
- マネージャー:彼の変化を受け入れ、時に衝突しながらも、常にディランを守ろうとする存在。フェスのシーンではその熱意が特に印象的。
この2人の存在を通じて、「本当の理解者とは誰か?」という問いが浮かび上がってくるようでした。
まとめ
音楽の映画でありながら、「音楽がどう生まれるか」「人はなぜ自分を語らないのか」といった、
もっと普遍的な問いを投げかけてくる作品でした。
ディランを知らない人でも楽しめる、でも知っている人ならさらに深く響く。
そんな一作でした。
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